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2007松本「縄手カエル祭」 〜松本市〜

    カエルが住む環境をカエルのは? その3
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 ダラダラと書き並べてしまったが、シンポジウムで聞いてきた話に、普段から脳内で考えている事を混ぜ込んでしまっている。
まぁ、個人的主観が多分に偏って含まれているので、読まれる方は注意していただきたい。
また、書かれている話は「素晴らしい!」と思われた奇特な方、励ましのお便りを頂けると幸いである。逆に、ダメだと思ったら知らん顔しておいて欲しい。


 さて、難しい話は別にしても、カエルの危機だそうだ。
この「かえるまつり」が、「かつて地球上にはカエルと呼ばれる生物が住んでいてねぇ」と昔を懐かしむイベントになってしまっては悲しいではないか。
そんな中で、ふと「日本の原風景」という話題が出た。
多くの人間が懐かしむような風景だそうだが、これは大雑把に言えば、こんな感じになる。
    原風景
    ■カエルと戯れた夏休みの縮図
かつて、日本に当たり前のように存在した「村」のイメージ。
それは人間の手で治水されていたり「あぜ」や「たんぼ」「はたけ」と言った人の手によって作られた人工物ばかりだが、西洋建築のように、道路を石畳で埋めてしまったり、護岸をコンクリートで埋めてしまうような「人工的」なものではなく、自然と共存できる意味での人工物に囲まれていたのが日本の風景だそうだ。
そして、その中に「カエル」が生かされている、という寸法だ。
この話を聞いて、子供の頃、「田舎のおばあちゃん」の家で過ごした夏休みを思い出した。
あぜ道でカエルを捕まえたりしたし、水遊びもした。
近所の林ではカブトムシを捕まえたりしたし、カエル捕りの途中で大きなアブに刺されて泣きながら帰ったという余計な事まで思い出した。
いや、マジで痛かったんだから。

でも、この話を聴いて、『どうしてカエルが好きなんだろう?』という質問の答えにたどり着いた気がした。
「日本人だから」という答えは、明確にして曖昧だが、頭や理屈で考えるより、この日本の風景を思い浮かべられる感覚の方が重要だろう。
キャンペーンを開き、何かの問題について大々的に運動するのは欧米人の方が得意かも知れないが、頭ではなく心で守りたいものを理解できる日本人の方が、環境問題については適役だと思う。
自然からひっぱてきた牛を「人が食うために飼っているのだから文句を言うな」というアメリカ流の考え方では、人間本意になってしまい、救うものも救えないだろう。

 そして、守るべき風景の代名詞が、この女鳥羽川であろうか。
    女鳥羽川
    ■自然溢れる女鳥羽川の流れ
護岸がコンクリートで固められているものの、その中には草が生い茂り、様々な生物が住んでいる。
「川をキレイにする」という意味は、人によっては「コンクリートで固めた人間基準でのキレイ」と思ってしまうが、それは自然にとってキレイ何の役にも立たないものだと言われた藤山氏。まさに、その通りだ。
このシンポジウムで語られた「温暖化」や「カエルツボカビ」
これらを通して見えたのは「人間の勝手な振る舞い」ばかりだった。
おそらく「地球環境のために何かしよう」と思うなら、人の意識を変えることからはじめなければならないだろう。
環境は金や宣伝になるので、多くの企業が名乗り出ているが、「私たちは木を植えています」などと言っている大手スーパーも、夏になると外国産のカブトムシを平気で売っていたりする。
本来、そこに存在しない動物を他所から持ってくることが、どれだけ環境に影響を与えるかブラックバスやカエルツボカビの例でも分るように、それは大きな問題なのだ。
弱っちいカエルの目を通して、いろいろな事を思ったシンポジウム。
終了予定の16時を回っても、なかなか質疑応答が途切れる事がなかった事を最後に付しておこう。


さて、慌てなければならない。
今年は、夜の部として「ナワテにカエラーナイト」というイベントが開催される。
カエル好きかお祭好きの有志によって企画されたイベントなのだが、それなりに手を染めていたりする。
そして「スタッフは4時に集合」という事を聞いているのだ。
確実に遅刻だが、とりあえず、外で取材をしている弟子と合流して、準備に取り掛かるとしよう。

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