2019年12月03日 記事
顔のない親

2019年12月03日(火)

●名古屋の事件だからか、小学生の「いじめ」の報道が賑わしい。「金を持ってこないと遊んでやらない」というクズを友人と呼ぶのが妥当かどうかなんて、小学生に判断は出来ないにしろ、人にカネを持ってこさせる時点でクズガキなのは間違いない。ガキがクズなのは、バカな親のクズ家庭だから仕方がないが、被害者児童の保護者が謝罪を受け入れていないことが、この手の問題の『重大事案』に当たるという話で表沙汰になったようだ。どうせ「謝ってるんだから大袈裟に騒ぐな」みたいなクズの手合いなんだろうなぁ。この手の恐喝をいじめと言い換え、事なかれ主義の集団の中で、おざなりな謝罪で有耶無耶にされる事件は少なくないんじゃないか?教育委員会のような無能の集まりの手に負える範囲ではなく、警察沙汰にしても問題のない悪質な犯罪行為だろう。胸糞が悪い以外の言葉が見つからない。●『「しつけ」を名目とした児童虐待を防ぐため、厚生労働省は3日、体罰の範囲や予防策の指針案をまとめた。体罰をしつけと区別し、「子どもの身体に苦痛や不快感を与えるもの」として法で禁じられると明記。具体例も挙げ、どんなに軽いものでも該当するとした。』、子供を殴り殺すバカの基準に合わせたクソみたいな発想だな。ある意味、事なかれ主義の究極の形じゃなかろうか。躾はタイミングも重要で、危険なことがあればその場で叩いででも教えるのが必要なことであり、後から「あの時は」などと言っても遅いだろう。そもそも、子供だって、きちんとした理由で殴られれば、それは自分で理解できる話。自分とて、子供の頃は、悪ふざけの度が過ぎて、手厳しく叱られたことが何度もあったが、それを暴力だと思うことなどなく、自分が悪いことをして止められなかったのが問題だと理解した上で殴られていた。それは、普通の人なら同じ感覚だろう。要は、自分が叱られた理由がきちんと理解できるように育てることが必要であって、それは「殴らない」を先に持ってくるものではない。悪いことをしたら叱られる、その程度によっては厳しく叱られる、もっと悪いことをすればもっと厳しく叱られる。こういう先の見えない部分が、自分の行為のエスカレートを防ぐ役割もあるが、最初から「先」が見えている、つまり、何をやっても痛い思いをするような叱られ方はしないとあれば、人間、簡単に堕落する。また、この領域は厚労省が責任を負うべき話ではなく、その親の問題じゃないか?事なかれ主義の親玉が、安易にものを決めるな。★☆★
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