2019年10月07日 記事
自分語りの商売

2019年10月07日(月)

●NHKは『語り部ビジネス』を推奨しているんだろうか?東日本大震災後、観光案内をする語り部の数が足りないと報じていた。先日も、東海村の事故だったろうか。語り部だった親御さんが無くなり、その息子が意志を次いで語り部を初めたが、細かいところがよく分からなくて苦労しているなんて報道があった。悲惨な事故の状況を説明する『語り部』の存在自体は否定しない。それは、直接もしくは直接に近い体験談として価値がある。しかし、それを語り続けることには限界があり、話しているうちに、細かなディテールは崩れ、聞いている観光客の反応が良かったところを大袈裟に話すなど脚色も入ってこよう。結局、それは、体験談を語る行為の限界であり、それを語り継ぐのは無理がある。結果的に、高齢化だの人が足りないだの騒いでいるが、それは『観光資源』としての語り部が足りなくて困っているだけで、本質ではない。いや、語り部に語らせるのは、その傷を癒やす効果があり、何らかの形で他人に聞いてもらうことは悪いことじゃないので、それはそれで続ければ良いが、あえて、語り継ぐ必要はない。●では、語り部に必要なのは何か?それは、自身の体験談を語るのではなく、制度やルールを作ること、もしくは、それを手助けすることだ。「津波のときは、ここまで水が来て」と何度も語るのは結構だが、「ここまで水が来る」ことが分かっているなら、人々をそこに住まわせるべきではない。呑気に観光名所にするなんて言語道断で、むしろ、居住禁止にするとか、そういう方向に働きかけるべきだろう。それが「悲惨な体験を繰り返させない」ために出来ることではないか?いくら感情的に訴えたところで、直接の体験者でなければ、それは伝わらないし理解も出来ない。しかし、何らかの制度やルールが新たに作られれば、「こういう経緯でルールが出来ました」くらいは誰でも語れるし、それを理解しなくとも安全は保たれる。『語り部』がいなくなることを嘆いている連中は、例え、彼らがボランティアであっても、自分らの商売にメリットになるから、あえて語らせているんだろう。そりゃ、観光の目玉が居なくなったら「困る」わな。●とは言え、300年もすれば「こんなところに水が来るはずはない」「来ても大したことはない」と開発を進め、同じように水没するのが人の歴史なのだろう。津波に土砂崩れ、河川の氾濫などなど、人間の寿命に対して眺めの周期で発生する大規模災害は、結局、人の手によって、毎回、大きな被害を与えるに違いない。★☆★
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