犯罪者だけが喜ぶ仕組み
2019年09月10日(火)
●『「即位の礼」恩赦実施へ最終調整 罰金刑の復権などに限定へ』、FNNが報じていた。恩赦ねぇ。政府関係者とやらが「被害者感情を考慮して、時代に合うものにしなければいけない」と言っているらしいが、恩赦そのものの感覚が時代に合っていないのではないか?刑法は善悪の基準を定めたものだが、そこに『天皇制』が関係するなら、一体、何の象徴なのかということになる。もちろん、直接影響があるなら天皇の政治参加に引っかかるので『恩赦法』という法律が用意されている訳だが、どちらにしても、今の感覚なら『天皇制は犯罪者の味方』と解釈する人もあろうに。記事には『比較的軽微な事件で罰金刑を受けた人の公民権を回復させる「復権」などに限定される見通し』とあるので、本当に軽微なものに限られるが、時代を考慮すれば、弁護屋の商売によって、むしろ、加害者優遇の時代。被害者感情からすれば、納得できない話だ。●『教育委員会は大ウソつき。』と書かれた遺書を残して15歳男子生徒が自殺した。「いじめた人を守ってウソばかりつかせる」だそうで、まぁ、事なかれ主義の典型的な対応だな。この後も、右往左往したフリをして責任の押し付け合いが続くだろう。そもそも、このいじめの問題。発生すると、マスコミが一斉に学校だの教育委員会だのを叩き始めるが、無能な連中を叩いたところで何も出てこない。本来ならば、いじめたヤツが「自分は悪いことをしたんだ」と自覚できるくらいまで、本人やら家族だのを追いかけ回すべきだろう。言い過ぎか?しかし、心労で加害者家族が自殺したとか、そんな話を聞いたことがない。むしろ、自殺した子供を晒し者にするだけで、加害者の姿が一切見えない連中が「事件の本質を伝えるために実名報道で」とか言っているんだから、教育委員会と同様の詭弁屋じゃないか。『善悪の判断のつかない子供』のしたことかも知れないが、それを判断できる周りの大人が「大したことない」という態度で居るんだろう。結果的に「勝手に死んだ」「運が悪かった」とか言いながら、のうのうと生きているに違いない。ただ、胸糞が悪い。★☆★