語り部というセルフ慰問
2019年09月18日(水)
●千葉県の災害復旧。いちいち、東日本大震災と比べて騒いでいるのを見かける。暇なのかね。人は不幸自慢でもって慰みにする対処法があるのだろう。まぁ、そんな東日本大震災、震災後に生まれた子供は、もう小学生だそうで、「震災の記憶を忘れない」みたいな感じで語り部とやらが、状況を伝えているという。ただ、その中で、被害の悲惨な映像や写真をそのまま見せてよいのか、などの議論もあるらしく、言葉を選ばずに言うなら、タダのバカとしか言いようがない。この手の話を非難したりバカにするのは宜しくない、という常識的なものがある。特に相手が「震災の被害者様」なら尚更のこと、「あの日のこと」を語り始めたら、真顔で黙って聴いていなければならないのだろう。そして、本当の記憶と、後に脚色された光景がごちゃ混ぜになり、「まぁ、たいへんでしたね」以外の感想が出ないような物語が出来上がる。確かに、震災や津波の怖さを伝えるのは重要だが、本当に伝えるべきは人の愚かさだろう。震災の被害者様を捕まえて愚かとは何だ!と怒られそうな話だが、では、その被害者様は、今自分たちが語っている「そんな話」を震災前に聞かされて、真面目に聞いていたか、って話にある。しばしば、地名にこういう文字が含まれたら、昔は沼地だったとか、川の近くだったとか、また、かつて津波の被害にあった人々は、その当時に出来る範囲で、後世にそのことを伝えるべく、様々な情報を残してきたに違いない。しかし、長い年月を経て、地震なんてないわ、津波なんか来ないわ、とタカをくくって、再び海沿いに集落を作り、土砂崩れが起きるよう山肌に家を立て、リバーサイド某と称された河川のそばの新興住宅地に喜んで移り住んだんじゃないか?結局、震災で色々なものを失った人々の気休めでしかない、語り部という存在。もちろん、その人の心の支えになる面もあるので、それ自体は否定しないが、その内容が後世まで末永く語り継がれるなんて幻想は捨てた方がいい。●セダンの復権だ。新型カローラが発表され、若者へアピールすべく機能やポイントをメーカーの人が説明していた。今時の若者でもない自分が言うのもなんだが、昭和のおっさんが必死になって考えた「今時の若者ならこれじゃないか」感が満載に感じた。若者なら音声でナビを検索するだろうし、ラインも使うだろう、みたいな。そもそもそれら、単なる付加機能であってセダンである必然性はないものばかりだが、とりあえずカローラのモデルチェンジが目的なので、そういう話は後付なんだろうね。コンピュータ関連だとApple製品が斬新で先進的だと思われているが、むしろ、後発であって、その時々で使える技術を上手に使って差別化を図っているだけ。トヨタのクルマも、あまり先進的ではない、というかチャレンジ精神を感じない無難なものばかり。たまに変わり種を発表するが、結局、売れずに終わってしまうのは、そもそもトヨタを選ぶ時点で先進性なんて求めていない層が多いんだろう。顧客のニーズには合っているが。★☆★