2019年04月 一覧
投票率が上がったら、実は困るのは老人

2019年04月20日(土)

●「アクセルが戻らなくなった」んだってさ。87歳のジジイの暴走プリウス、残念ながら母子が死亡する結果となったが、このジジイがどういう生き方をし、いま、どういう人なのかは知らないが、その人生の最期は『人殺し』として迎えることだろう。再三報じられている「アクセルが戻らなくなった」という証言も、そりゃ、アクセルを踏み込んでいたら戻らんよ。晩節まで汚す生き様は、まぁ、戦中・戦後で人間の一番汚いところしか見てこなかった世代らしいといえばそうだろう。本当に胸糞の悪い話だ。●どうしてこうなったのか。簡単なことだ。年寄りが自分たちに住みやすい社会を作ったからだ。それは非合法ではなく合法的なもの。運転免許は18歳からという年齢制限はあるが、上は特にない。ブレーキとアクセルの区別がつかない老害がハンドルを握っているご時世なら、上限を設定しても良いのではないか?という声が出ても不思議じゃないが、じゃあ、それを「法律」として作るかというと、そう簡単ではない。少なくとも、名前しか連呼しないような田舎議員の選挙にしても「年寄りから運転免許を取り上げ、安心して暮らせる社会にしましょう!」などと演説すれば、地元の後援会と称する後ろ盾を失い、当選はままならない。結果、年寄りを優遇する政策を打ち立てる人が勝つ訳だ。じゃあ、やっぱり、年寄りが有利じゃん、という話になるが、結局、そこで、若い人が選挙に行かないから年寄りが望むような社会になるだけのこと。どうせ自分が行っても変わらない、と思っているかもしれないが、それが二十歳の若造でも、九十歳の死に損ないでも票数は変わらない。「自分が行っても変わらない」と意見を同じくする人が多ければ「自分たちが」となり、結果、その層の意見は反映されないことになる。●選挙に行かず、文句だけ言っているバカな連中を利用するのは、知識人を装った『バカな大人』の連中だ。ろくな案も出せずに批判することで対等の立場になったと勘違いしているクズといっても良いが、この手の連中に従えば、多数決は「数の暴力」という都合の良い解釈になるので、「じゃあ、そっちの方が良いじゃん」という気持ちになるんだろう。バカに利用されるだけもバカの構図、ここにありだ。多かれ少なかれ、この世は年寄りに生きやすいように出来ている。というか、作っている。★☆★
老人ミサイル老人ミサイル

2019年04月19日(金)

●もう、都市部の運転免許は定年制で良いんじゃないか?池袋で『80代の男性が運転する乗用車が横断歩道を渡っていた歩行者を次々と轢いた』、10人ほどがケガをし、そのうち、2歳位の女の子と母親らしき女性が意識不明の重体だという。可愛い盛りなのに、もう、老害以外の言葉が浮かばない。乱暴な言い方になるが、こんな年寄り、何らかの施設に入って『更生』したところで、ロクに余命が残っていないんだから社会的な価値もなかろうに。だいたい、池袋という立地を思えば、クルマなんか必要か?という話。公共交通機関が通っているところに限れば、年寄りの免許など定年制にしても、何ら問題なかろうに。全自動運転のクルマが事故を起こしたら、その責任の所在はどうなるか、という問題があるが、少なくとも、老い先短い老害が事故を起こした時より、よっぽど、責任は取れるだろうに。他人事であっても、無責任な老害の暴走は、やり場のない怒りしか浮かばない。●ノートルダム大聖堂の焼失。マクロン大統領は「私は、この大惨事を結束の機会とする必要があると、強く信じている」などと演説をしたらしいが、再建に向けて、多額の寄付が集まってきたら、『その一部は貧困層支援に使われるべきではないか』などの声も出てきたという。遺産相続の見苦しい争いみたいな話だな。いや、遺産相続なら、その権利の有無は可能性であるが、大聖堂の再建のために集まったカネは、お前らのモノじゃねーよ。どうしてそういう発想になるのか理解に苦しむが、まるで、登山家の有名なセリフのごとく「そこにおカネがあるから」なんだろう。「人間より石が優先されるのか」などと言う声もあるようだが、まぁ、「そうだ」としか言いようがない。少し前にも、デモという名の暴動があったばかりだが、放っておいても、そのうち、大聖堂は焼け落ちたんじゃないかねぇ。そのうち「なるほど、歴史的建造物を焼けばお金が集まる!」とか考え始めるんじゃないか?★☆★
募金は小瓶の小銭、寄付は茶封筒に紙幣、のイメージ

2019年04月17日(水)

●ノートルダム寺院焼失。見慣れた、といっても見たことなし、慣れてもないが、とりあえず、世界の風景が失われるというのは何とも言えぬ感じがある。アメリカで起きた同時多発テロでWTCビルが崩壊した時も、同じ感覚で、人間、そこにあるものはずっとあって当たり前で、それが日常だと思っているから、それが無くなったことへの非日常感につながるんだろうか。日本で考えれば、例えば、スカイツリーが折れるとか、そんな感じか。なるほどショッキングだ。とは言え、フランスなど、暴徒があちこちに火をつけて大騒ぎする国じゃないか。今ある街を焼くのと、歴史的建造物が焼かれるのと、何が違うのか。●失われた日常のためか、再建に向けての寄付が寄せられているという。中でも、ファッション界の富豪ら3人が、合わせて約380億円の寄贈を発表しているという。あるところにはあるもんだ。ノブレスオブリージュだったか、「貴族は、その身分にふさわしい振る舞いをすべし」みたいな感覚があるから、こういう時にもポンと出すんだろう。あちらの世界らしい、というが、日本では「武士は食わねど高楊枝」みたいなものか。あ、こっちは単なる見栄っ張りか(笑)。●そう言えば、熊本城も復興のための寄付を集めていたが、何だか日本で寄付というと、どうも紙幣よりも貨幣、小銭を集めなきゃならんような気がするのは自分だけだろうか?余ったお金を回すのが募金、みたいなところがあって、コンビニの店頭に置かれているようなアクリルの募金箱に紙幣が入っていると、むしろ違和感がある人も多かろう。募金の目的が「救済」であれば、金額が多いに越したことはないが、そもそも、募金の目的は「善意」と「容認」なので、一概に金額だけでは図れない。例えば、困窮している人がありました、さて、その人のために募金をしましょう、となった場合、そいつの存在を容認するからこそお金を出すんだが、そいつが許されざる存在であれば、誰もカネは出さない。仮に100万円必要なところに、支援者1人が100万円出せば、募金としての目的は達成されるが、社会が支持しているかどうかは別の話、むしろ、1万人から100円ずつ集められる募金の方が、皆の応援により成り立っているものとして受け止められる。さらに、募金者の心に、見えない連帯感というか、皆で助けた満足感というか、半ば自己満足みたいなのも混じっているので、一人が目標額の大半を出してしまうと、何だかしらけてしまうんじゃなかろうか。こういう場合、「あまり多いと、かえって失礼」みたいな言い方で牽制してきたが、募金だの寄付だの、その人というより、自分のためにやっている人が多いんじゃなかろうか。★☆★
加害者/被害者スイッチ

2019年04月16日(火)

●新聞やニュースでしばしば報じられる『いじめ』の問題。最近は、その行為そのものよりも、それを裁判所なんぞが『いじめとして認定したか否か』が話題の中心になっている。いじめなんて、白黒はっきり出来るものじゃないだろうに。大人の都合で線引きをしただけの『認定』とは無関係に、自殺に追いやられた子供を小突いたり殴ったりしていたようなクソガキは存在するのは事実だろうに。そういう小さなのは『いじめ』じゃないから、私ら知りませんわ、という認定騒ぎに違和感しか覚えない。だいたい、こういうのを気にする連中に限って、軽口で「あなたはバカですか?」と問えば、顔を真赤にして「名誉毀損だ!訴えるぞ」とか言い出しそうだが、そもそも、名誉毀損など、毀損されるような名誉を持っている人間だけに許されるセリフだ。もちろん、『法的』には『加害者』がどうこう言っても、受け取る側の問題なので、名誉毀損は毀損かもしれないが、いじめの問題を被害者無視で結論付けるような連中に言われたくないわ。●法律と言えば、それがルールなのだろう。「今から、郵便物を送りますが、よろしいでしょうか?」などと電話をかけてくる会社がある。主に、調査会社で「アンケートをお送りしますが、よろしいでしょうか?」といった類だ。こういう電話、社内で取り次がれて、自分のところに回ってくる訳だが、そこに至るまでにかかった時間と費用は、それこそ無駄な時間。ほんと、バカバカしいルールだ。挙げ句、こういう会社に限って『昨今の働き方改革では』『生産性向上のために』などの語りで始まるアンケートだったりして、テメーのところから始めろよ、と言いたくもなる。しかし、一方で、この手の調査に協力しないと「非協力的な会社」みたいなレッテルを貼ってばら撒こうとするんだから始末が悪い。●『定食チェーン「やよい軒」が16日から、これまで無料だったご飯の「おかわり」を関東の一部店舗で試験的に有料化する』、こんなのがニュースになるんだな。まぁ、人件費が高騰の折、そこで食わせている古米より、給仕するバイトの価格の方が高くなったんだろう。だいたい、この「おかわり自由」なんて曖昧な制度、止めればいいのに。おそらくは、ちょっと食べたりない人のために追加でもう1杯くらいは食べるかな、程度で考えていたんだろうが、その想定をハズれた客層が多かったんだろう。タダなら食べなきゃ損、みたいな。一方で、おかわり不要の人々から「あのデブと同じ価格なのは不公平だ」の声が増えてきたに違いないが、何だか、自分が良ければそれで良いのに、他人が『得』をしているのが、自分の『損』だと思う人が増えたのかね。幸せの相対化だな。★☆★
それでも法律で決まってるからねぇ。

2019年04月15日(月)

●『自宅で元夫とみられる60代くらいの男性の頭をハンマーで殴打し、身体に熱湯をかけて殺害したとしている』、普通に怖いわ。逮捕されたのは、自称・秋山朝子容疑者(55)、職業ではなく名前に自称が付いている辺りが、さらに怖さを煽るが「元夫が床の上で寝ていて『ベッドで寝なさい』と声をかけたが、起きなかったのでハンマーで殴った。まだ起きなかったので、給湯器のお湯を洗面器に移して身体にかけた」、この供述も尋常じゃない。新聞などで、こういう事件が小さく片隅に載っていることがあるが、余程のことでなければ、続報が報じられることもない。大量に情報が溢れる時代、新聞記事なんて、記事番号を付加し、続報が報じられた場合など、全て『関連する記事番号』を付すようにすれば、検索と再利用が便利になると思うが、新聞そのものが、読んで捨てられる前提で書いているので、そちらの方向には進みそうもない。●働き方改革とやらで厳しくなってきた労働環境。いや、経営者にとっても厳しくなったが、正直、ホンモノのブラック企業ではない『普通のカイシャ』であれば、その改革など、労使どちらにもメリットのない、タダの『労基対策』だと思っている。ぶっちゃければ、バカバカしい。取り締まりやすいところの数字を突っついて喜ぶだけのお役所仕事が大半じゃないか?この騒ぎ、芸能界にも飛び火し『芸能事務所で相次ぐ労基違反』などと報じられている。芸能界、例えばアイドルなんて、よっぽどの逸材でなければ、単なる『目の慣れ』だ。可愛いとかきれいとか、元々正解がないんだから、親近感が成功のカギの1つ。「最近、よくテレビで見かけるね」こそ、重要な『お仕事』だが、だからこそ、そこで働く側も、それを働かせる側も『定時』なんかで落ち着いていたら、他社に負けるのは必至だ。こういう構図は芸能界に限ったことではないだろうが、競合他社のない役人には理解が出来ないんじゃないか?もちろん、そこで、特定の人に仕事が偏ったり、そもそも、仕事量が人員の数を上回るようなら問題だが、それを無理に回して続けられるかどうかも、一概に縛れる話じゃない。そう考えれば、この『働き方改革』なんてのは、就職活動の自主的なルール決めと同じで、互いに潰し合いにならないように取り決めたようなもの。もちろん、余力のある大企業の方にメリットがあるのも、就活と同じだな。中途半端な『フラット制』を押し付けようとする一方で、例えば、努力し、唯一無二の製品やサービスを苦労して生み出した企業には「ブランドにあぐらをかいている」「独占禁止法だ」などと騒ぎ立てる社会。様々な仕事があるのに、働き方を一律に縛ろうとする点で無理がある。★☆★
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