2019年04月 一覧
休みだろうが平日だろうが渋滞

2019年04月22日(月)

●朝晩の通勤路。トヨタ市に限ったことじゃないが、郊外都市らしく、交通渋滞は激しい。まぁ、世界のトヨタのお膝元が『郊外』ってのもどうかと思うが、実際、工場なんてのは郊外にあるから仕方がない。そんな中を、毎日走っているが、あれだけ多くのクルマが走っている中で、マナーの悪いヤツは異様に目立つ。真っ赤なレクサスという、値段だけは高そうな車に乗っているヤツが、いつも黒っぽい服を着ているので『赤の黒豚』とよんでいるが、唯でさえ目立つクルマに、さらに覚えやすいナンバープレートなんだから、まぁ、バカなんだろうな。一方で、外観上、何の特長もない白色のファミリーワゴンだが、いつも「こいつは」と思うので、自然と覚えてしまった下511。走り方が雑というより、身勝手で根性が悪いのが目立っているわけだが、ああいうのはオバハンに多い走り方だろうか。自分は「良かれ」と思って好き勝手に行動し、周りが迷惑するタイプだろう。●オバハン運転は、何が起きても「ワタシは悪くない」を貫くのが特長で、例えば、交差点。渋滞で前が詰まっていようが、信号が青になったら「青になったら前に進む権利があるのよ」で、見境なく交差点に侵入し、そのまま、信号が変わって邪魔になろうと「前が行かないんだから、私は悪くない」とばかりに堂々としている連中だ。あと、右折矢印が消えてからミサイルのごとく突っ込んできて堂々と右折するのは、若いねーチャンが目立つ。おそらく、オバハンの本能がそこにあるんだろう。「矢印が消えたのが悪いんだもん。私は悪くないんだもん」とばかりに突っ込んでくる。もちろん、マナーの悪い奴の中で、極めて一部の目立つヤツの話に過ぎないが、●ただ、朝の渋滞でもったいないのは、自分も含めて無駄なスペースを専有していることだろう。バイクとは言わないが、クルマがすべて、水色ナンバーのミニカーにすれば、かなり渋滞も緩和されるだろうし、事故なんかも減るんじゃないか?ただ、そう思って一部の人間が始めたところで、他に大型のクルマが走っている中では、かえって危険度が増してしまう。結局のところ、交通渋滞を緩和するのは、もはや、法律だの条例だので縛るしかなく、欧州の都市のように「乗り入れ禁止」くらいをやらなければ、無理だと言えよう。何らかのキャンペーンで、仮に半分くらいがミニカーになったとしても、「大きい車がステータス」と勘違いしているバカは頑なに乗り換えない。勝手な推測だが、補助金をばらまいた頃、本来は軽自動車に乗っているような層が、こぞってプリウスに乗ったので、あの頃のモデルのプリウスのマナーの悪さが目立つが、慌てて白ナンバーの軽自動車に乗るのも、この手合いだろう。何にせよ、余程のことでもなければ、交通そのものは変わらない。★☆★
バスとトラックの自動運転を最優先で

2019年04月20日(土)

●自動車の街、豊田市。自動車に乗らなきゃ人権がない街なので公共交通機関の選択肢は少ないが、そのくせ、地方都市にありがちな地元バスの路線が複雑でわかりづらいというお約束は踏襲しているので、あまりバスなど乗ろうと思わなかったが、ここ最近、『みちナビとよた』というアプリのおかげで、結構、乗るようになった。このアプリ、電車やバスなどの時刻表が検索できるもの。都会のように時刻表の存在など気にしなくても良いような状況ではないので、かなり便利だと思っている。バスの時刻表といえば、待っている時間なんぞに手帳に書き写したりするものだったが、今は、スマホで、いつでも調べることができるものになった。乗り継ぎなんかは、かえって、それ系のアプリでルートを検索してもらった方が便利だが、スマホといえど、時刻表を眺めながら、ルートと時間を考えるのは古臭くも面白い。●ただ、乗りなれていないバスに乗ると、驚きことが多い。まず、運転手が一癖も二癖もありそうな連中ばかり。勝手な想像では、荷物を運んでいたようなトラック上がりに客が運べる訳が無い、と思っているが、乗客が席に着くまで「動きます動きます」と延々とアナウンスし続けていた運転手は、さすがにヤバいと思ったよ。また、妙に親切なアナウンスで、客への気配りも申し分ないのに、運転だけが乱雑というのもあった。気を使うべきところを間違っているというか何というか。現代版の『雲助』は、タクシーに限った話じゃなさそうだ。●それにしても、何でこんなことが起こるのか。「市営バスが歩行者5人はねる 2人が心肺停止」、プリウスミサイルの老害の次は、最も事故を起こしちゃダメなプロによる事故だが、64歳の運転手は、再雇用らしいが、ベテランで健康診断も特に異常もないという。もちろん、ベテランだからといえ、再雇用とあれば能力の低下は考えられるわけで、一体、何が起きたのか明らかにすべきだ。ただ、このご時世、平均寿命が長くなり、また、人手不足も手伝って、何でもかんでも再雇用になったが、それが不適切な職業もあろうに。不適切といえば、件のプリウスミサイル老害、旧通産省工業技術院の元院長という情報がある。なるほど、周囲の忖度で晩節を汚さずに済みそうな立場のジジイのようだ。いまだに逮捕されていないことを思えば、そういう事なんだな。嫌だねぇ。★☆★
投票率が上がったら、実は困るのは老人

2019年04月19日(金)

●「アクセルが戻らなくなった」んだってさ。87歳のジジイの暴走プリウス、残念ながら母子が死亡する結果となったが、このジジイがどういう生き方をし、いま、どういう人なのかは知らないが、その人生の最期は『人殺し』として迎えることだろう。再三報じられている「アクセルが戻らなくなった」という証言も、そりゃ、アクセルを踏み込んでいたら戻らんよ。晩節まで汚す生き様は、まぁ、戦中・戦後で人間の一番汚いところしか見てこなかった世代らしいといえばそうだろう。本当に胸糞の悪い話だ。●どうしてこうなったのか。簡単なことだ。年寄りが自分たちに住みやすい社会を作ったからだ。それは非合法ではなく合法的なもの。運転免許は18歳からという年齢制限はあるが、上は特にない。ブレーキとアクセルの区別がつかない老害がハンドルを握っているご時世なら、上限を設定しても良いのではないか?という声が出ても不思議じゃないが、じゃあ、それを「法律」として作るかというと、そう簡単ではない。少なくとも、名前しか連呼しないような田舎議員の選挙にしても「年寄りから運転免許を取り上げ、安心して暮らせる社会にしましょう!」などと演説すれば、地元の後援会と称する後ろ盾を失い、当選はままならない。結果、年寄りを優遇する政策を打ち立てる人が勝つ訳だ。じゃあ、やっぱり、年寄りが有利じゃん、という話になるが、結局、そこで、若い人が選挙に行かないから年寄りが望むような社会になるだけのこと。どうせ自分が行っても変わらない、と思っているかもしれないが、それが二十歳の若造でも、九十歳の死に損ないでも票数は変わらない。「自分が行っても変わらない」と意見を同じくする人が多ければ「自分たちが」となり、結果、その層の意見は反映されないことになる。●選挙に行かず、文句だけ言っているバカな連中を利用するのは、知識人を装った『バカな大人』の連中だ。ろくな案も出せずに批判することで対等の立場になったと勘違いしているクズといっても良いが、この手の連中に従えば、多数決は「数の暴力」という都合の良い解釈になるので、「じゃあ、そっちの方が良いじゃん」という気持ちになるんだろう。バカに利用されるだけもバカの構図、ここにありだ。多かれ少なかれ、この世は年寄りに生きやすいように出来ている。というか、作っている。★☆★
老人ミサイル老人ミサイル

2019年04月18日(木)

●もう、都市部の運転免許は定年制で良いんじゃないか?池袋で『80代の男性が運転する乗用車が横断歩道を渡っていた歩行者を次々と轢いた』、10人ほどがケガをし、そのうち、2歳位の女の子と母親らしき女性が意識不明の重体だという。可愛い盛りなのに、もう、老害以外の言葉が浮かばない。乱暴な言い方になるが、こんな年寄り、何らかの施設に入って『更生』したところで、ロクに余命が残っていないんだから社会的な価値もなかろうに。だいたい、池袋という立地を思えば、クルマなんか必要か?という話。公共交通機関が通っているところに限れば、年寄りの免許など定年制にしても、何ら問題なかろうに。全自動運転のクルマが事故を起こしたら、その責任の所在はどうなるか、という問題があるが、少なくとも、老い先短い老害が事故を起こした時より、よっぽど、責任は取れるだろうに。他人事であっても、無責任な老害の暴走は、やり場のない怒りしか浮かばない。●ノートルダム大聖堂の焼失。マクロン大統領は「私は、この大惨事を結束の機会とする必要があると、強く信じている」などと演説をしたらしいが、再建に向けて、多額の寄付が集まってきたら、『その一部は貧困層支援に使われるべきではないか』などの声も出てきたという。遺産相続の見苦しい争いみたいな話だな。いや、遺産相続なら、その権利の有無は可能性であるが、大聖堂の再建のために集まったカネは、お前らのモノじゃねーよ。どうしてそういう発想になるのか理解に苦しむが、まるで、登山家の有名なセリフのごとく「そこにおカネがあるから」なんだろう。「人間より石が優先されるのか」などと言う声もあるようだが、まぁ、「そうだ」としか言いようがない。少し前にも、デモという名の暴動があったばかりだが、放っておいても、そのうち、大聖堂は焼け落ちたんじゃないかねぇ。そのうち「なるほど、歴史的建造物を焼けばお金が集まる!」とか考え始めるんじゃないか?★☆★
募金は小瓶の小銭、寄付は茶封筒に紙幣、のイメージ

2019年04月17日(水)

●ノートルダム寺院焼失。見慣れた、といっても見たことなし、慣れてもないが、とりあえず、世界の風景が失われるというのは何とも言えぬ感じがある。アメリカで起きた同時多発テロでWTCビルが崩壊した時も、同じ感覚で、人間、そこにあるものはずっとあって当たり前で、それが日常だと思っているから、それが無くなったことへの非日常感につながるんだろうか。日本で考えれば、例えば、スカイツリーが折れるとか、そんな感じか。なるほどショッキングだ。とは言え、フランスなど、暴徒があちこちに火をつけて大騒ぎする国じゃないか。今ある街を焼くのと、歴史的建造物が焼かれるのと、何が違うのか。●失われた日常のためか、再建に向けての寄付が寄せられているという。中でも、ファッション界の富豪ら3人が、合わせて約380億円の寄贈を発表しているという。あるところにはあるもんだ。ノブレスオブリージュだったか、「貴族は、その身分にふさわしい振る舞いをすべし」みたいな感覚があるから、こういう時にもポンと出すんだろう。あちらの世界らしい、というが、日本では「武士は食わねど高楊枝」みたいなものか。あ、こっちは単なる見栄っ張りか(笑)。●そう言えば、熊本城も復興のための寄付を集めていたが、何だか日本で寄付というと、どうも紙幣よりも貨幣、小銭を集めなきゃならんような気がするのは自分だけだろうか?余ったお金を回すのが募金、みたいなところがあって、コンビニの店頭に置かれているようなアクリルの募金箱に紙幣が入っていると、むしろ違和感がある人も多かろう。募金の目的が「救済」であれば、金額が多いに越したことはないが、そもそも、募金の目的は「善意」と「容認」なので、一概に金額だけでは図れない。例えば、困窮している人がありました、さて、その人のために募金をしましょう、となった場合、そいつの存在を容認するからこそお金を出すんだが、そいつが許されざる存在であれば、誰もカネは出さない。仮に100万円必要なところに、支援者1人が100万円出せば、募金としての目的は達成されるが、社会が支持しているかどうかは別の話、むしろ、1万人から100円ずつ集められる募金の方が、皆の応援により成り立っているものとして受け止められる。さらに、募金者の心に、見えない連帯感というか、皆で助けた満足感というか、半ば自己満足みたいなのも混じっているので、一人が目標額の大半を出してしまうと、何だかしらけてしまうんじゃなかろうか。こういう場合、「あまり多いと、かえって失礼」みたいな言い方で牽制してきたが、募金だの寄付だの、その人というより、自分のためにやっている人が多いんじゃなかろうか。★☆★
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